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さすらいびとの子守唄

Landscape with Railway

立葵の咲く頃

tachiaoi

会津若松市の花である立葵は梅雨時を彩る花・・・
茎の下の方から花が咲き始め、一番上まで咲くと梅雨が明けるという。

梅雨の晴れ間に咲く立葵・・・
梅雨明けはもう少し先のようだ・・・。

2009年6月29日 只見線 会津川口-本名

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  1. 2020/06/02(火) 20:47:40|
  2. 僕の只見線
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珍客登場

siromaya

最近只見線で走る検測車east-iDが年に2回程度走っているが、その前は無動力の検測車をDLが牽いて走っていた。
当時は小出から会津若松まで一気に走るのだが、只見で機関車を交換した。たぶん寒勝野支社が違うからだろうけど、若松からはDE10が短期で只見へ迎えに行き、又小出から牽いてきたDE10は只見で切り離して単独で帰っていくという面白い運用であった。
当時はSLこそ走り始めたけど機関車が只見線に入線する事もなかったのでミーハーな自分は結構撮影にいったっけ・・・。

こんな珍客を撮るのも楽しかったが、結局凄い数の撮影者に押されてしまい、「やっぱり普段着の只見線がいいな」なんて生意気な事を言って追っかけもほどほどに、静かになった沿線でのんびりとキハ40系を撮っていた。

2003年5月 只見線 会津西方-会津桧原

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  1. 2020/06/01(月) 20:35:37|
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天をも焦がす・・・

kawagutihassya

会津川口を発車する時の汽笛は日本一だ・・・。
奥会津の山々に響き、幾重にも木霊する汽笛を聞くとなんか泣けてくるのだ。

この当時、只見から北列車の停車時間は2分。短い時間でボイラーの圧を上げるからかキャブの中では懸命の東端が行われているのだろう。その煙は会津川口の空をも焦がすくらい高く高く上がっていく・・・。

天をも焦がす煙が上がり、やがて日本一の汽笛を轟かせて列車は発車していくのだ・・・。

2003年6月 只見線 会津川口

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  1. 2020/05/31(日) 17:33:04|
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かけがえのない日常

aidukosugawajk

コロナ禍の緊急事態宣言が発令されてから1ヶ月半。それでもそれ以前から学校が休みになったり、外出の自粛を求められたりと不自由な暮らしになっている。自分も半ば日常となりつつある会津詣でも既に2ヶ月以上自粛で、自分の中の季節が分断されたりストレスが溜りまくりである。
そう考えてみると日々当たり前のように過ごしている日常がいかにかけがえのないものかを改めて痛感している。
東日本大震災で日本人や当時日本に滞在した人は痛いほどわかっているとは思うのだが・・・

当たり前のような日常を日々過ごしていると、その時はなんてことのない時間の流れも時が経つにつれてそれが一番素晴らしい事、日常であるという事がわかるものだ・・・。

奥会津でも学校の登校が始まったようだが、まだ規制はあるんだろうな・・・。
1日も早くごくごく普通な日常が戻ってきますように・・・。
写真を撮るにしてもそんな日常を記録できる事がとても素晴らしい事なんだし・・・。

2003年6月 只見線 会津越川

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  1. 2020/05/30(土) 20:05:47|
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こいのぼり

koinobori

最近はこいのぼりを上げる家が少なくなったように思う。
昨今の住宅事情もあるのだろうが、会津でもあまり見かけなくなったような気がするのはそんな事情なのか、それとも線路際しかうろいつかない自分の眼が悪いのか・・・

実は自分もこいのぼりを持っていた。自分が産まれておばあちゃんとおじいちゃんが買ってくれたもの。昭和30年代中盤だったからさぞかし立派なものだったろう。そのこいのぼりは母の実家に住んでいた2歳までは上がっていたようだが都営住宅から千葉の公団住宅に住んでいた頃はもちろん上げられるものでもなく・・・。自分も実際上がっている所は見た事がなかった。
中学生の頃、母がこのこいのぼりを自分が出た小学校に寄贈した。その年と翌年は小学校に上がっていたのを見た記憶がある。自分のこいのぼりなんだぞ!って自慢してやりたい気持ちだったのを覚えている。

その後、こいのぼりは上がらなくなり自分も高校生となり興味鵜もなくなったのかさして気にしなかったのだが、今考えるとあのこいのぼりはどうなってしまったんだろう。担当の先生の転勤とか、上げたりする手間なのかいろいろ事情はあったんだろうけど、今持っていたら只見線が見える家にお願いしてあげてもらったのにな・・・なんて勝手なことを考えていた。

産まれて2回しか見なかった自分のこいのぼり・・・。この歳になって妙に懐かしさを覚えるのである・・・。

2005年5月5日 只見線 会津越川-本名

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  1. 2020/05/29(金) 20:38:51|
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SL並走!

kuranarabi

「会津若松でSLが同時発車して並走するらしいよ」
そんな噂を聞いた時、一瞬耳を疑った。確かに磐越西線は会津若松を出て、郡山方面と新津方面がしばらく並んでいるからやってやれないことはないな・・・そう思った記憶もある。SLとの並走というと新幹線と並走した奥羽本線や陸羽東線があって見に行ったが、SL同士とはなんということか!とこの手の話を聞くと不思議と興奮する(笑)。(その後は只見線でのSL走行や更に冬季運行といった話を聞いて全身の血が逆流するような気になったものだが・・・)

2000年は1日は台風の影響で中止、翌日に1回走ったが場所の選定を誤ったようで撃沈。あきらめていると翌年も行われた。1年後の7月である。ただただものすごい人で圧倒されたがなんとか撮る事は撮れた。
それにしても先頭をピタッと合わせてゆっくりと走ってくる姿は迫力あってシャッタを押す手にも力が入る。全身の血が逆流するなんてものじゃなく、全身の血が沸騰して蒸発してしまうような興奮を覚えた・・・。

その後何回か会津若松での同時発車は行われたが、SL並走の舞台は高崎へと移りD51498の相手はC57からC61へと変わっていくのであった。

heisou

鉄道の町会津若松を彷彿とさせるイベントだったように思う・・・。

2001年7月 磐越西線 上:会津若松運輸区 下:会津若松-広田・堂島



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  1. 2020/05/27(水) 20:17:24|
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色が違うぞ?

dai3hatinohe

2005年6月9日:会津中川 - 会津川口間、只見線を跨いで只見川に架かっていた町道の橋梁の撤去作業中に橋げたが一部ずり落ち、下り列車が接触して屋根が大破する事故が発生。負傷者なし。会津宮下 - 只見が不通となり、バス代行(同年7月1日運行再開)。 この事故により只見線用車両4両(キハ48 546、キハ48 549、キハ40 2022、キハ40 2024[9])破損のため、2005年(平成17年)7月 - 2006年(平成18年)3月の間、小牛田(キハ40 548)・秋田(キハ48 1507)・八戸(第1次キハ40 558、キハ48 539・第2次キハ40 593、キハ48 1547)各区より車両を借り入れて運行。また、八戸区第2次車両は翌年3月まで只見線で運行された。

この年は3月12日に会津水沼-早戸の下大牧地にて雪解けによる大規模な斜面崩壊が発生、その土砂に下り列車が乗り上げ先頭車が脱線、運転士が負傷する事故が発生したばかりで只見線の受難な年であった。(参照:Wikipedia)

上述の事故の影響で きた応援車両たちは男鹿線や八戸線を走っていた塗色であって約10ヶ月の間走っていた。秋田から応援に来た男鹿線色を纏ったキハ48は冷房車。当時は冷房車なんて走っていなかった只見線でこれが走ると乗客がみんな喜んでいたと当時の会津川口駅の駅長が笑って話していた。この男鹿線色のキハ48はほどなく秋田に帰っていってしまったので沿線の人達の喜びはすぐに終わってしまったが・・・(笑)

当時は物珍しさもあってというか、来た列車は全部撮影していたが最初はこの車両たちが来た経緯があってちょっと複雑な思いであった事が思い出させる。
最初は違和感ありありだった。それでも何ヶ月か走っていると見慣れてくるのも確かであった。
これはこれでいい意味でも悪い意味でも、只見線の歴史の1ページなんだなぁ・・・と思っている。

2005年8月7日 只見線 早戸-会津宮下

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  1. 2020/05/26(火) 19:34:47|
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霧雨の谷

ggatunoame

五月雨・・・
五月の雨の意味かと思っていたら、旧暦の五月だから今で言うと六月・・・。今の梅雨の頃の雨であろう。
五月も終わり頃になると季節は春というより夏。初夏を思わせる季節になる。
それでも雨が降って条件が合えば川霧もでる・・・。

雨というより霧雨といった風情の夕暮れ時。まだ日没まで少し時間があるが、こんな天気だと既に空間が蒼味を帯びてきた。
霧雨の谷に遠くタイフォンが響く・・・。
少しづつ列車の音が聞こえてくる。

ひとりホームに佇んでいるとちょっと寂しい気持ちにもなるのだが、列車の前照灯が見えるとなんとなくホッとする気持ちになるから不思議だ・・・

2004年5月 只見線 会津川口

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  1. 2020/05/25(月) 20:42:50|
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麦秋間近

mugibatake

只見線沿線って麦畑ってないのかな・・・
そんな思いで探していた頃があったが何年も見つからず、そういう風土なんだなって思っていた。それでも見つかる時はあっけなく見つかるもので・・・。
ほんの小さな一角だったので麦を作っているという雰囲気ではなかったが、この場所は数年間この時期になると毎年訪れていたが、ある年から蕎麦畑になってしまった。この頃だったか坂下の杉集落の線路際に麦畑が現れてSLと絡めた人もいるだろうが、それも長続きはせずにすぐに水田に戻った。それ以来沿線で麦畑を見る事はなかった。

麦秋という言葉がある。秋という字が入っているが初夏の頃の季語だ。麦が実り茶色くなった麦畑は正に秋のような風情があり、それを表した言葉・・・。日本語ってほんとうに美しいと思う。

麦の穂も少し色づいてきた。この小さな畑が麦秋を迎えるのももうすぐであろう・・・。

2008年6月10日 只見線 会津坂本-塔寺

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  1. 2020/05/22(金) 19:14:39|
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初夏の紫 3

ayame

そういえば奥会津であまりあやめを見かけた事はない。黄色いのはよくあるけど、あれってあやめなのかもわからず・・・
尤も線路際しかうろついてないからかもしれない。

あやめは花札で言うと5月の月札である。これはおそらく旧暦で表されているのでやはり初夏6月の花という事なのではと思う。
初夏、特に梅雨になる頃、しっとりと咲くあやめはやはり、初夏を彩る紫なのである。

2002年6月 只見線 会津西方-会津宮下

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  1. 2020/05/21(木) 18:23:31|
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プロフィール

さすらいびと 

Author:さすらいびと 
旅と酒と蒸気機関車とローカル線とカメラをこよなく愛するおぢさんです!

真島満秀先生に感化され、「旅情」をテーマに、季節とか、光とか、日常とかの鉄道情景が好きで追い求めています。どちらかというと鉄道写真というより、「鉄道のある風景写真」といった方がいいかもしれません。自分の写真を見て「旅に出たい」って思っていただけたら望外の喜びです。

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